Final Reviews, Ethiopia Project


(画像左:オープニング、右:FeiとつくったFilm)
スイスに来てから9ヶ月ほど。早いもので、もう1年目の最終プレゼンが終わってしまいました。特にこのセメスターは短く感じましたね。やっぱりエチオピアから帰って来てから時間がなかったせいだと思いますが、まだプロジェクトの途中のような印象ですね。
さて、この課題の成果物としてはもちろんデザインもありますが、アディス滞在中にFeiと早起きしてストリートチルドレンの生活を取材した、ショートフィルムも制作しました。コースとしての現地でのスケジュールは、大学やディベロッパー、NGOなどのフォーマルな場所で多くの時間を費やしたので、人々の生活そのものを感じる機会は少なかったわけですが、僕たちがストリートチルドレンの生活を追いかけて感じたものは、むしろ僕たちがデザインするうえで知らなければならない現実でした。これを現地の感覚がない人々に伝える事はとても難しいのですが、このショートフィルムは僕たちのプロジェクトの中でも重要なメッセージになっていると思います。

(画像:プレゼンテーションの様子)
今回のプロジェクトは、アメリカ人のMATTHEWとコスタリカ人のSEBASTIANという30代の建築家たちとチームを組んで、大きいスケールながらもできるだけ空間的な提案になるように心がけました。僕たちの提案は、開発地区に流れる5本の川を背骨にして、乱立する新しい建物群に囲まれながらも、現存する家畜やインフォーマルなマーケットのような、人々の生活の根幹となるアクティビティを許容できる空間を提案しています。
 アディスでは多くの川ははっきり言って汚く、トイレやゴミ捨て場として使われているのが現実ですが、ゾーニングの境界になっていたり、人々が洗いをするのに集まって来たりと、空間的なポテンシャルは高いと思います。そんな川沿いの空間を魅力的な空間として現地の人々に見せる事が第一の目的でした。まだ空間的な魅力を見せるまでには至っていないのですが、徐々に変化させていく方法の提案とともに、もうしばらく案を発展させたいと考えています。
 さて、実は今回の最終プレゼンで気がついたのですが、僕たちがこのコースでやってきたことっていうのは、言ってみればすごく中途半端なんですよね。建築の分野とはスケールも違うし、建築のデザインにそこまでこだわってるわけではない。かといってアーバンデザインのようにしっかりとした枠組みやルールの提案もしていないし、クライアントがいるわけでもない。今回の講評会でゲストの人たちが困っていたのは、その辺りの曖昧さにあったようで、評価の方向性が定めにくかったようです。ただ僕が思うのは、この中途半端さというのはスタンスとしてとても重要で、ここからアーバンデザインとしても、建築のデザインとしても発展させられるような、場のポテンシャルのようなものを提示しているんだと思っています。僕が日本で強く感じていたのは建築と都市計画の隔たりだったので、その境界を渡り歩けるような仕事に巡り会えればと考えていましたし、その意味では、この中途半端さというのは自分のなかで可能性をもった課題として持っておきたいと思っています。
最終プレゼンも終わったので、これから次の身の振り方を考えます。

エチオピア4日目:Social Architect


(画像左:ストリートチルドレン 右:Fei&FG)
午前6時。Feiと共にホテル近くのスラムエリアへ。このあたりには多くのストリートチルドレンがいて、分離帯のところに毛布一枚で眠っている。僕たちが話しかけると周囲から集まって来た。彼らは英語を話せない(公用語であるアムハラ語を読み書きできるかも怪しい)ので、英語が使えるFGを紹介してもらう。FGは道ばたの壁際にシェルターを作り、そこで生活している。

(画像左:道端のシェルター 右:その住人Mekonen)
彼もFGのようにコルゲートの金属板でつくったシェルターに生活している。FGは一応タイヤ修理の職をもっているが、Mekonenは職がない。時々物資を運ぶ仕事を任されることがあるらしいが、その相場は安く、一回1.5Birr(約20円)。アディスでもほんの一握りのお金である。彼は17歳のときから9年間こうやって過ごしているらしい。彼は読み書きもできるのに、職が見つからないというのは、どうやら人種差別的なものらしい。

(画像左:お金を分け与えるFG 右:教会の前)
FGが教会に行くというのでついていった。教会の前にはたくさんの人たちが並んでいる。FGはもっていた1Birrをコインに交換し、並んでいる人たちに分け与えている。彼も決して多くのお金を持っているわけではないが、少しでもいい生活をしている人が貧しい人に寄付することは当たり前のことだと、彼は話してくれた。教会には毎朝多くの人たちが訪れ、お祈りをしている。アディスでは教会が今でも大きな力を持っていて、人々の考え方にも影響している。政治的にも経済的にも、保守的な部分が強いのは宗教が関係しているようだ。

(画像左:川沿いに張り出している住宅 右:洗濯場)
アディスの川は決して美しいものではないが、興味深い状況をみることができる。まずは住居。アディスの川沿いは洪水の危険性や汚染防止のために住居をつくれない地帯に指定されているわけだが、貧困な生活をしている人たちがそこに住居をつくっている。そしてアディスの中心部でさえも川で洗濯していたり、トイレ代わりに使われたりしている。その結果、川沿いはマスタープランに描かれている緑化された公共空間とは全く異なり、汚染された無法地帯となっているのが現状である。

(画像:計画敷地)
他のメンバーと合流し、計画敷地であるディベロッパー所有地見学へ。周囲では新しい住宅建設が進んでいるなか、このオープンスペースは魅力的に感じられる。敷地の北側にあたる画像左側には新しい主要道路が建設されていて、住宅だけでなく店舗や公共空間としての機能も必要となってくる。

(画像:コンクリートブロック)
敷地内は現在建設資材を生産するために使われている。画像はここで作られているコンクリートブロック。お判りのとおりかなり質が悪い。まあ、日本みたいに地震があるわけではないから大丈夫なのかもしれないが。

(画像:ディベロッパーの住宅地)
同じディベロッパーが開発した住宅地へ。市の東端に位置している巨大な住宅地。(詳しくはこちら。)住宅は外観は基本的にレンガ積みのようなパネルでできていて、いかにもという印象。面白いのはほとんどの住宅の屋根に貯水タンクがついていて、白や黒の物体が浮かんでいるように見えること。どうやら住宅地への水の供給がまだうまくないらしく、タンクを使っているのだとか。なぜこんな巨大な住宅地をあえて端っこに持って来たのか。。。これをきっかけにインフラを整備して開発を促進するということなのだろうか。

エチオピア3日目:メルカート


(写真左:プレゼン前の打ち合わせ 右:睡眠不足のDarius)
本日はBuilding Collegeで残り2チームのプレゼンテーション。前日がよい感触だっただけに気合いを入れていったものの、ジュリーメンバーがちょっと遅れているらしい。前日は遅くまで踊りにいってたメンバーが多く、ちょっとグッタリした空気もあり。僕は初日からすでにカゼ気味でした。。。

(画像左:鋭い視線を送るOliver氏 右:奮闘中のFei&Girls)
今回のプレゼンテーションには前日からの教授陣に加え、Prof. Oliver氏, 主任のアブラハム氏、そして市の建築部門から参加してもらいました。東アフリカで一番の大きさを誇る市場・メルカートについての議論では、彼らもメルカートの構造を把握しきれていないようだ。博士論文でも明快になっていないらしい。おもしろいテーマであるのは間違いないが、現地の人とは違った切り口が不可欠だ。最後にOliver氏がプロジェクト全体をひとつとして捉えられる視点を提示してくれたのがとても有意義だった。

(画像左:航空写真メルカート 右:メルカートの人々)
昼食後、東ヨーロッパ最大のマーケット・メルカートへ。Google Earthでチェックした時は上の画像みたいに奇麗なグリッドになっていたので、市場の近くにスラムか何かが作られているんだと思ってたのですが、いざ来てみると、その全てがマーケットであることに気付かされたわけです。まさに巨大なマーケットで、欲しいものは全て(しかも安く)手に入るらしいです。

(画像:メルカートの人、人、人)
ガイドしてくれた学生はいくつかのゾーンに分かれていると説明してくれたが、あまりの人の多さと、同じような店舗の連続のために、その構造を把握する事は非常に難しい。しかも見えているのは表層部分のみで、奥に住居があるのか、作業場なのか、はたまた地下に保管スペースがあるとか、その実態は謎のまま。ただ、その規模と組織はしっかりとしたルールの中に成り立っているように感じられた。

(画像:メルカートに埋もれるメンバー。)
僕たちも警戒して少人数のグループに分かれたものの、メルカートを歩いているともちろん目立ってしょうがない。おもしろいことは僕が通りかかるとほぼ全員が”China!”と声をかけてくること。中国の影響の大きさを実感した。新しい道路の8割は中国からの技術によって建設されているらしいし、メルカートの商品の多くも中国から輸入されてくるらしい。

(画像左:ペットボトルのリサイクル 右:金属のリサイクル)
メルカートは巨大なマーケットとして海外ともネットワークをもっているだけでなく、アディスやエチオピアにとっても重要な役割を果たしている。その一つはリサイクル部門。市内のリサイクル可能なものはここに集められ、加工され、商品として並べられる。欲しいものは何でも手に入る場所であると同時に、全てのものを受け入れられる場所でもあるわけだ。無職者がガラクタを集めてお金を稼ぐ事が可能なのも、全てはメルカートが万能なマーケットとして機能しているためだ。ここにいるほとんどの人はここに住んでいるわけではなく、毎日通って来ている人たちらしい。オーナーはアメリカにいるのだとか。この空間を解明することは難しいが、ここから学べる事はきっと多いはずだ。

(画像左:バスターミナル 右:新しいショッピングモール)
メルカートのように人が集まるところにはインフラや投資も集まっていて、バスターミナルもあれば、新しい建物も頻繁に見られる。メルカートの特徴は高密度の状態で水平方向に拡大していくことで、地元のアーバンデザイナーたちは高層の計画案も検討している。しかし、消費活動がグラウンドレベルに集中しているため、高層のモールはそのアクティビティの獲得のために苦労していらしい。確かに雰囲気や人の入り方もかなり違う。
メルカートは単に市場としてではなく、むしろ重要な都市機能として考えられるべきだろう。

エチオピア2日目


(画像:Addis Abeba University でのプレゼンテーション)
2日目。Addis Abeba Universityで計画案のプレゼンテーション。予想に反して(?)教授陣をはじめ、ディベロッパー、政府からの専門家、多くの学生が参加してくれました。正直なところ10人くらい来れば良い方と考えていた僕たちは、彼らの興味を知って一気に緊張感が高まりました。

(画像左:白熱するディスカッション。 右:川岸も奮闘中。)
今回のディスカッションはとても有意義でした。単にデザインの評価ではなく、社会的な側面(民族や政策)、経済面(企業投資や行政投資)などから現実的な可能性と課題を議論できた。実務経験のない自分にとっては新鮮だったし、現地の専門家たちも試行錯誤しながらやっているので、議論のなかからいくつもの面白いアイデアが浮かんできた。僕たちのチームにとっては、自分たちの計画地がディベロッパーの所有地だったので、彼らの考え方や方針をある程度”生々しく”聞けた事も収穫でした。

(画像左:ETH&アディスの講師陣。右:トークに熱が入ってます。)
今回のサイトの一つに設定されている古い空港近くのゴルフクラブでランチ。プレゼンテーションがお互いにとても好感をもてたので、トークも盛り上がりました。その後、アディスアベバでのプロジェクトが3カ年のプロジェクトになることが決まったそうです。

(画像左:南西部の開発地区、右:どこでもよく目にする光景)
ディベロッパーの事務所に行く途中に市の南西部に位置する住宅開発地区に寄る。環状線を走っているとかなりの数の住宅開発を目の当たりにする。インフラ整備も十分に進んでいないのに住宅開発はすごい勢いで進められている。その結果、画像のような家畜が道路に出てきて何度も危険な場面を見かける。都市の急速な成長に対して、周辺の農村部での生活が変化しきれないために、こういうアンバランスが生じている。

(画像左右:東部の開発地区)
そのまま環状道路を経由して東部の開発地区へ。市の西と東を結ぶ幹線道路沿いは特に開発が進められていて、マスタープランでも8階建ての建物が建つことになっている。周辺には平屋か2階建ての住宅しか見られないのと、中層以上の建物には決まって反射系の色付きガラスが使われているのもあって、かなりの存在感を放っている。

(画像左:ディベロッパー訪問 右:大学での講義)
課題の敷地を所有しているディベロッパーを訪問。現在は他の開発地区のブロックなどの生産のために使われているが、近いうちに住宅地として開発される。彼らが提案しているのは道路沿いに5層の集合住宅、内部に2層の住宅を建てるもの。自分たちはこれに対してカウンタープロポーザルをすることになる。彼らは中国やインドなど似たような地形での開発をコピーしてデザイン(といえるかは怪しいが。)しているらしい。これも経済発展の速度の影響として想像できないこともないのだが・・・。
その後大学に戻ってDr. Paul Oliver氏によるVernacular architectureのレクチャーに参加。さすがに疲れていたが、内容はとても興味深くて、「集落の教え」にあるような魅力的な住居が紹介されていた。その後のディスカッションでは建築のアイデンティティがテーマになった。ディベロッパーからコピーの話を聞いていたものだから、大学でこんな議論が起こっていることに共感できたし、経済発展の速度のなかで土着性を保っていくことの重要さと難しさも再認識した。

エチオピア1日目



(画像左:アディスアベバ上空、右:ボレ国際空港)
チューリッヒからイスタンブール、スーダン・ハルツームを経由してアディスアベバへ到着。イスタンブールを23時発で、途中で着陸・離陸するわけなのですっきり眠れず、かなりの疲労感とともに早朝の到着。メンバーは僕らMASのグループとレギュラーの学生合わせて約50名。僕らはアディスのみで、残りのメンバーは地方もまわるハードスケジュール。

(画像左右:ボレ空港周辺)
アディスは標高2600m付近に位置していて、酸素がちょっと薄いのと、日射がとことん強烈なのが特徴。北側に向かって丘状になっている。

日曜日という事もあって、教会周辺には多くの人たちが集まっている。白いスカーフがとても印象的で早速の異文化に驚かされる。

ホテルで食事。気持ちよくサラダでも食べたかったが、水道水が飲めないために生野菜が食べられない。ミネラルウォーターはその名も’AQUA SAFE’。水が危険だという認識の裏返しがこんな名前にもつながっているのかもしれない。

(画像:アディスの一般的なマーケット)
バスに乗りこみ要所を巡るツアー。こんな大型バスが通るはずもないような道路を通るので、かなり目立ってました。道路沿いのマーケットはとても興味深い空間。夜間はきっとただの道路に戻るんだろうけど、一時的に日本でいう商店街のような空間ができあがる。単なる商店街ではなく市民にとっては生活の一部でもあるので、そのアクティビティは尽きる事がない。

(画像左:ロバ、右:土留め)
丘陵部に差し掛かったところで降りてみる、と、そこにロバが通りかかる。街の中でも家畜のエサや水を運ぶ手段としてロバが活躍している。自動車との接触事故等がかなり問題になっているようだ。また、局地的な降雨による洪水と浸食も問題となっている。かなりの量の土砂が洪水で下流域へ流され、最上流である高原地域はどんどん浸食されている。

(画像左:エチオピアでの主食、右:コーヒー!)
半日も経たずしてエチオピアの北部へ飛び立ったレギュラー学生ご一行と別れ、ランチへ。エチオピア人の主食であるインジェラをいただく。薄く焼いたパンケーキのようなもので、カレーみたいなソースにつけたり、野菜を巻いたりして食べる。右手だけで食べるのはかなり苦労した。家族や仲のいい友人との間では交互に食べさせ合うのが習慣らしい。そして、食後はなんと言ってもコーヒー。超有名なエチオピアコーヒーは最高です。エチオピア人にとってのコーヒーは日本人にとってのお茶に相当するような気がする。客がくるとコーヒーをふるまい、談笑しながらコーヒーを飲む。コーヒーを入れるのは生活の重要な一部分になっている。

南部はメインストリート沿いに次々と新しい住宅や工場などが建設されていて、もはや隣町との境界もなくなりつつある。しかしさらに南に行くとそこは田園風景が広がっている。スタジオのメンバーも馬車に乗せてもらって楽しんでいた。

道路沿いの店舗の形式はとてもおもしろい。倉庫と店舗の2重の役割を果たしていて、商売する時は扉を開き、帰る時に扉を閉める。このように線状に連なると道路から見ても存在感が感じられて、景観としても重要な要素になっている。

一日目の終盤、突然の雨。海抜2600mにあるということで、気象状態も不安定のようだ。雨期には3ヶ月間雨が降り続き、洪水のように流れてくるらしい。街を流れる川は大きなポテンシャルであることには違いないが、この洪水や汚染の問題をいかに解決するかが重要になっている。

いざエチオピアへ


(画像:中間講評後のスタジオの様子)
セメスターが始まってはや2ヶ月。ついに今日エチオピアに向けて出発、首都のAddis Ababaに5日間ほど滞在する予定です。これまでは環境がまったく違う場所でのアーバンデザインに四苦八苦してきました。ここ10年ほどで人口が約2倍、住居の80%が違法、マスタープランはよく計画されているけど実行されない、という、日本やスイスとはかけ離れた都市のなかで、状況を体験しないまま計画する難しさを実感しました。
そこで気がついたことは、そのカオス的な状況の中にはいろんな可能性が潜んでいるということ。エチオピアのような発展途上国の都市は日本のような先進国に比べて劣っていると考えるのは容易いが、資本の流入、情報技術の発展等の影響で、都市が成長するスピードは日本の経済成長時の数倍にも感じられる。いわば日本が成長過程で歩いてきた階段を3段飛ばしくらいで駆け上がっているわけだ。するとそこには、むしろ日本が学ぶべき新しい都市の形態があるかもしれない。例えば、携帯電話。日本では固定電話→携帯電話と発展したわけだが、エチオピアでは固定電話がないままに携帯電話が定着しつつある。物理的な電話線網をつくるよりも電波圏をつくるほうが効率がいいためだ。都市が無秩序に発展していて、住所も郵便制度も定着していないから、携帯電話登録で管理するという思索もあるほどだ。
住宅も興味深い。現在の標準的な住宅は、日本の建て売りのようなメインの家に、もう一つ小さな家も建てられる。公式では小さなほうはメイドの家となっているが、実は他の人に貸し出されている。さらに店舗などの用途で貸し出すために拡張も行われるわけだが、なんと週末に一気に建設してしまうらしい。もちろん違法だが、住民は「建てちゃった」的な態度をとり、管理側も都市の密度を上げるという意味から暗に容認している。この無秩序性が都市に活気を与えている事も確かのようだ。
エチオピアにあるのは、経済成長段階の日本のイメージではなく、まったく新しい都市の可能性ではないかと期待しています。都市を体験して、現地の学生やディベロッパーにプレゼンして、自分たちの計画案にどのような変化が起こるか楽しみです。

Ulm: 要塞都市の現在


(画像左:大聖堂外観 中:同内観 右:頂上付近の構造)
Geislingenからハジメ君とともにUlmへ。UlmはStuttgartから南東へ70km程度いったところ。ちなみにAlbert Einsteinが生まれたところとしても知られている。
早速Ulmの大聖堂の塔に登る。高さ161mは教会として世界最高のらしい。大聖堂に登るといつも思うけど、よくもまあこんな高いところまで積み上げるものです。高さへの憧れは今も変わっていないような気がするけど、そんな人間の欲望のために、命を懸けてつくりあげる職人の情熱というやつは本当に素晴らしいと思う。

(画像左:街を流れるドナウ川 右:大聖堂に登って記念写真。)
Ulmは中世に交通の主要都市として栄えたかつての要塞都市。ドナウ川沿いには要壁のあとを見る事ができる。現在はオープンスペースとして利用されていて、市民にとっても観光客にとっても魅力的な場所になっている。街の中に巡らされている用水路と古くからの特徴的な建物を活かした街のデザインは十分に街の魅力を引き出していて、とても居心地がいい。街の中心部である大聖堂周辺では、新しい現代建築が建設されている。こんな特徴的なコンテクストをもった都市に新しい建築を融合させるのはとてもやりがいのある仕事のように思う。

Stuttgart:時代を感じさせるコレクション


(画像左:Mercedes Benz Museum外観 右:表面の仕上げ)
Easterは新潟時代の友人のハジメ君を訪ねてStuttgart方面へ。彼が住んでいるところはZurichから4時間ほど、StuttgartとUlmの間にあるGeislingenという街。ちょうど聖金曜日だったので大聖堂でBachのJOHANNES-PASSIONを聴く。ソロ部分ではたった一人の歌声なのに大聖堂の空間を通して振動が伝わってきて感激した。
Stuttgartへ。久しぶりに大きな都市に来た感覚。スイスの小ささを実感する。早速Mercedes Benz Museumへ。車体を思わせる曲線のボリュームが存在感を示している。中央に吹き抜けとエレベーターシャフトを配置し、展示空間はちょうど3つ葉のクローバーのように配置されて、少しずつ高さを変化させている。動線は時代を追っていくメインの2つの葉っぱとテーマごとのコレクションが別れていて、経験としてはコレクションの区切りにコラムが挟まれている作品集を見ている感じ。UNStudioによる作品紹介はこちら

展示自体はとてもカッコイイ。技術を高めながらデザインを洗練させていく技術革新も素晴らしいが、2つの世界大戦の中で苦難を乗り越えながら第一線のクルマを開発・提供し続ける姿勢には感激した。自分の中では300SLcoupeが1955年に開発されていることに一番驚いた。しかもそのデザインは決して古さを感じさせないところが素晴らしい。Stuttgartの歴史はMercedesとともに歩んで来ていると考えれば、Mercedesは市民にとっての誇りなのだろう。

Stuttgart郊外に位置するWEISSHOFSIEDLUNGへ。1927年にドイツ工作連盟によって開催された住宅展覧会の会場。委員長だったMies van der Roheが建築家を招顎した近代住宅建築のコレクション。Le corbusier&Pierre Jeanneretによるno.14/15は現在WEISSENHOF MUSEUMとして公開されている。いくつかは失われているが、住宅展覧会の作品が80年ほど経ってもいまだに住まい続けられていることが素晴らしいと思う。建築単体としてではなく展覧会全体として、その時代を現在に伝えることはとても意味がある。Le Corbusierらの作品はとてもコンパクトでありながら、すでに空間を変化させる仕組みを持ち、とても巧く空間を操作している。その深い考え方はやはり古さを感じさせない。

Stuttgard の中央広場の近くにあるパッサージュはとても印象的な空間。反外部的な空間として利用され、非常に効果的な空間のように思う。近くにこの発展形が見られた。画像左はコートヤードを局面のガラスで覆っている。雨の処理等に疑問をもったが、空間としては気持ち良さそう。広場の近くの新しいモール(画像右)も発展形だと思うが、表参道ヒルズやイオンモールに非常に似ている印象を受ける。ここまでくると半外部的な感覚が薄くなるからパッサージュというよりはコミュニティスペースに近い。屋外の雰囲気から比べてもどこか閉じた印象を与えている。パッサージュの進化を見てみるとおもしろいかもしれない。
memo
“Mercedes-Benz Museum”
Architect: UN studio, 2006
Address: Mercedesstrasse 100, 70372 Stuttgart
“WEISSENHOFMUSEUM IM HAUS LE CORBUSIER”
Architect: Le Corbusier & Pierre Jeanneret, 1927
Address: Rathenaustrasse 1, 70191 Stuttgart

11年目。


 スイスも春を迎えました。日本でのこの季節はいつも新鮮な気分になれて、やる気が湧いてくる季節だったんですが、こちらではあまり感じられないかな。日本の春っていい季節だな〜と改めて感じました。
 そして、春が来たのと同時に建築学生11年目を迎えました。僕が建築の勉強を始めたのが1997年の春。もう一昔前の話になってしまいました。そして10年経った今もまだ学生なのですが、本当にそんなに長く勉強してきたのかと思うくらい、まだまだ知らない事の多さに驚かされています。むしろ、今までこんなにたくさんの情報や知識があることに気がつかなかったことが不思議に思えるほどです。やはり日本では閉じられた環境に自分を置いていたということだと思います。
 ちょっと日本という枠を広げただけで、1年や2年ではとても身につけられないくらいの魅力的な建築の知識や考え方が見えてきました。毎週のレクチャーや特別講義、アシスタントとのディスカッション、同僚との普段の会話に至るまで、自分にとって新しいことばかり。まるで10年がリセットされたかのように、建築の深さを味わっています。環境がいかに大事か、もちろん全ては自分次第であることは変わりないけれど、環境を選ぶことの大切さを実感しています。

(画像:ゲストを迎えてのファーストレビュー。)
今やってるエチオピアのプロジェクトも日本とはあまりに違いすぎるので、正直なところ行ってみないとわからないんだろうけど、自分が10年蓄えた知識や考え方がいかに使えるか、しっかり試してみたいと思っています。

美しさという指標

さっき同じ寮に住んでいる作曲専攻の学生と話していた。建築はどうやってデザインするんだと聞かれて話していたら、では美しい建築はどうやったらデザインできるのかと聞かれたわけだ。
作曲のほうの話を聞いていたら本当に建築のデザインに似ていて、パターンをつくったり、それらを組み合わせたりしながら、小さな部分から全体までの一貫したコンセプトをつくるんだそうだ。ミニマルミュージックっていうのもあって、小さなパターンを少しずつ変えながら全体をつくっている音楽のことらしい。建築でも一時期「部分から全体」という言葉が流行ったように、そういうプログラムの美しさって存在していると思う。アイデアコンペで競っているのは、むしろその要素のプログラム、組み合わせの斬新さ、明快さであるのかもしれない。
でも作曲の場合は、うまく力強いプログラムを持てたとしても、結局それが美しい曲でなければ意味がないと。音楽の場合その美しさをどう評価しているのかはわからないけれど、なんとなく建築よりも絶対的な価値観が存在している気がする。自分みたいな音楽を知らない人間でも良い曲だと思える音楽を経験したことがあるからだ。そのプログラムは全く理解できない、曲の背景も情景も全く分からない自分みたいな輩が聴いても、良いと思える音楽がある。もちろん、プログラムはその美しいという価値観を支えている要素である事は間違いないとは思うのだが。
建築の場合、その美しさを判断する余地はすごく小さい。建築の評価は、経済性や、効率性や、快適性や、地域性や、流行性(?)など多くの外部からの要因が作用しているからだ。時にはその評価が情報によって操作される場合も少なくない。建築というものが限りなく現実的で、直接的に人間と関係する以上、指標の捉え方次第で評価が変わることは当然なのだろう。しかし多くの建築デザイナーは、何の知識を持たなくても「良い」と思えるような、何人にも評価される空間や建築があることを知っている。そしてその空間や建築の内に絶対的な「良さ」や「美しさ」が感じられることも知っている。
スイスに来てから、その「美しさ」や感覚的なものが力をもっていることに気がついた。日本の大学の設計課題では明確なプログラムを持たない作品は教授に相手にもされない事が多いが、こちらでは教授が、アシスタントが、その魅力にとりつかれる。そしてその瞬間、プログラムの明快さなどはとても小さい事のように思えてくる。むしろ皆がなぜその作品が美しいのか、力強いのかをそこにある形態としての結果から導きだそうとしている。誰も言葉や明確な規則として理解できない絶対的な感覚を生み出すには、斬新で明快なプログラムのような要素の調和か何かが必要だからだ。自分の持論として、その絶対的な「美しさ」や「良さ」の感覚はプログラムの延長にあるものだと思っている。明快でシンプルな土壌を作り出して初めて、研ぎすまされた感性が働くと思うからだ。
「美しい」空間や建築をつくることは難しい。決して建築を知らない素人がつくれるようなものではない。だからこそ、建築をつくる者は感性で勝負すべきではないかと思ったのだ。プログラムは言葉にできるし、繰り返すことができる。過去の偉大な建築家が用いたプログラムを応用して、明快なプログラムをつくることもできる。しかし「美しさ」を獲得するにはその先の感性が重要で、そこまでデザインしてこそ建築家の職能と言えるのではないだろうか。