Liège Guillemins Station




Liege Guillemins Station
(Under Construction)
design: Santiago Calatrava.
ベルギーのリエージュでサンティアゴ・カラトラヴァの駅舎を見学。これまでいくつか彼の駅舎を見てきたけれど、これは規模といい、美しさといい、彼らしさを存分に発揮した作品といえる。まだ建設中ということで、駅の機能は完全には移行していないから、プログラムと形態がどう噛み合うのか非常に興味がある。それにしても、そのインパクトといい、カラトラヴァこそ都市のアイコンをつくるのに最適な建築家じゃないだろうか。

11th International Architectural Biennale Venice: Review

今回のヴェネチア・ビエンナーレの紹介と感想を少し。テーマが”out there: Architecture beyond building”ということで、これまでの建築という認識を覆すような建築の可能性を見せようとしている。

川岸の中ではパヴィリオン建築の中でNo.1のスカンジナビア・パヴィリオン。今回はこのパヴィリオンの設計者でもあるSverre Fehnの作品が紹介されていました。パヴィリオン自体も既存の樹木を残しながら、薄いコンクリートのリブを組み合わせて作られた屋根がかけられ、気持ちのよい空間ができ上がっている。

キプロス・パヴィリオン。ピーター・クックがキュレーターをつとめ、キプロスの若手建築家の作品が展示されていました。それにしても、キプロスは人口80万人ほどの国でありながら、出展者のほぼ全員が海外に出て経験を積んでいるというのはとてもおもしろい。

シンガポール・パヴィリオン。こちらも若手建築家およびデザイナーの作品を展示し、頭上のスピーカーからは彼らがそれぞれの作品についてディスカッションしている音声を流している。他分野のクリエイターたちがコラボレーションして、リンクしている状況が表現されていたように思う。

オランダ・パヴィリオン。今回のパヴィリオン自体はそれほど凝ったものではなかったけれど、オープニングの3日間、切れ間なくディスカッションとイベントを企画して、むしろその場を作ること自体に意義があるような印象を受けた。

チリ・パヴィリオン。若手建築家PEZO VON ELLRICHSHAUSEN ARCHITECTSがキュレーターをつとめ、ツーリズムとしてチリの有名な建築をミニチュア化して展示。建築とツーリズムのつながりを見せようとしている。

ベルギー・パヴィリオン。外部は仮設用の金属パネルで覆われ、外からは何も見えない。中にはいると紙吹雪のような色彩豊かな紙片が床に敷き詰められている。それこそタイトルはAfter the party。既存のパヴィリオンにとらわれず、新しいテリトリーの定義をデザインするという現代的な考え方を見せながら、1907年に建設されたパヴィリオンの、2007年に行われるはずだった100周年パーティーの後という、少し感傷的な表現もおもしろい。

ドイツ・パヴィリオン。リサイクルであったり、インタラクティブであったり、植物であったり、多様な空間をつくる可能性のあるオブジェクトを展示している。Instantによる”United Bottle”プロジェクトに注目。http://www.united-bottle.org/

中国パヴィリオン。四川大震災の後ということもあり、仮設建築の展示が目を引く。紙管を使った建築は坂茂氏のそれほどエレガントではなかったし、雨に濡れてやわらかくなっていたので壊れはしないかと少し不安に思う。

見事金獅子賞を受賞したポーランド・パヴィリオン。既存の空間の将来の可能性を少し皮肉まじりにコラージュしてみせている。

ここからがArsenaleで展示されている作品たち。Architecture Byond Buildingを建築家たちが表現している。 Asymptoteの作品。家具というかオブジェに近い。建築家がここまでやる時代ということでしょうか。

Zaha Hadid Architects 存在感はひたすらすごい。座りやすい高さに設計されているのにも関わらず、座れないとは、どういうことか。これもオブジェ系。

Guallart Architects, MIT CBA, IAACによるHyperhabitat。こちらはインタラクティブ系。ある家具のスイッチをいれると、どれくらいの影響があるのかを正面のスクリーンで表示している。詳細はこちらhttp://www.hyperhabitat.net

M-A-D / Erik Adigard and Chris Salterによる作品。これもインタラクティブ系。人がスクリーンの前を通るとセンサーが反応して、スクリーンに表示される。現実とバーチャルをつなぐツールということか。


Philippe Rahmの作品。本質は空気の循環をつくりだす装置によって人工的な自然を作り出しているということだと思われる。が、それよりも古代を思わせるような、布切れを身につけた、もしくは全裸に近い人たちが楽器を演奏するというパフォーマンスが訪れた人を釘付けに。画的に美しくはあるが、実際その装置がどういう空間を実現するのかを知りたかった。

Massimiliano & Doriana Fukusas作。巨大でマッシブなオブジェクトのなかにキッチンのムービーが映される。建築の巨大化をテーマにしているのか。

Greg Lynn Formによる作品。使われなくなった玩具を再利用した家具。やはり汎用性の高い新しい空間概念のアイデアということで評価されたのか、金獅子賞を受賞。

Diller & Scofidio + Renfroによる作品。ヴェネチアの運河を船に乗っている映像を見ているうちに、いつのまにかヴェネチアを模した場所、例えばラスヴェガス、マカオ、名古屋(どこ?)の映像に切り替わっていく。ブランディングが起こしている現象を表現している。

Atelier Bow-wow による作品。アトワンのモバイル作品の最新作。モバイル性を追求していくと建築の概念はどうなっていくのだろうか。

MACEによるEveryvilleプロジェクト。作品自体というよりは、情報を共有し、リンク付けするためのインタラクティブツールの展示というべきか。詳細はこちらhttp://www.everyville.labiennale.org/

Penezic & Rogina Architectsの作品。住空間の水回りユニットが、水の循環装置によって接続され、自然を感じるようなエコ空間を提案している。

最後はGustafson Guthrie Nicholによる”Towards Paradise”人工的な楽園を想像させる作品。農村への回帰を思わせる。
全体的に見て、建築の新しい形態への回答は、まずはWeb2.0のようなArchitecture2.0的概念として、ユーザーによって形態を変えていく空間装置。次に建築という職能を超えたオブジェクト的なデザイン領域への提案、そして自然という表現としての建築。このような提案が目立ったような気がする。キュレーターの考えは、建築がユニットとして汎用性、模倣性を持ったとき、新しい考えが生まれるのではないか、ということだったように思う。今回の展示でもそれぞれの建築家が、建築を概念的表現まで近づけていたという意味では、将来のアイデアがつまった建築展と言えるのかもしれない。何よりも有名建築家のみならず、多くの若手建築家がアイデアを競い合っていたのは非常に刺激的だった。
text by Noboru Kawagishi

Japan Pavilion

石上純也氏設計の日本館。惜しくも金獅子賞は逃しましたが、会場での注目度はトップクラスでした。何よりもその洗練された温室のデザインは、温室というよりはむしろショーケースのようで、見事に外部空間をデザインしています。それとは対照的に、内部空間には真っ白な壁に数えきれないほどの細い線。これまでの石上氏の作品の紹介をしているといえば、しているのですが、むしろその空間自体が作品です。外部には丁寧に家具が配置されて居住空間がデザインされている一方で、内部は”らくがき”されたオープンスペースのような、これまでの内外空間のステレオタイプを更新するような、コンセプトの強さを感じました。
キュレータの五十嵐太郎氏による毎回の起用に、最大限の回答で応じる石上純也氏のデザイン力とその意気込みに感服しました。建築を超えてアートの域に達していると言われているその洗練されたデザインへの、ヨーロッパでの人気も一気に上がりそうです。





Japan pavilion in this exhibition was designed by a young Japanese Architect, Jun-ya Ishigami, collaboration with a Botanical gardener. I have heard, when the curator of Japan pavilion, Taro Igarashi, won the curator competition, he explained Ishigami as an architect following Toyo Ito – Kazuyo Sejima stream. Of course for our generation, Ishigami is the one of the most remarkable architects who has done “baloon”(2007), “KIT workshop”(2008), and so on.
I thought the main concept of the pavilion is “Nature and space”. Various shapes of glass boxes with plants are carefully located and dividing into small scale gardens. Japanese-taste furniture that is normally used in interior space, are placed in each small garden and making exterior-living space.
In the pavilion, it was totally white space which has full of hand drawings of his projects on the wall. Even the plan of the pavilion was drawn with thin and precise lines. People are too much believing that furniture should be in interior space, but this space makes us awake and shows different perception of interior and exterior.

Sky Crowler


 周りで見ていた人たちは、映像や音楽が興味深かったと教えてくれたけど、自分にとってはむしろそこに描かれていた強烈なメッセージのようなものが印象に残ったし、やっぱり日本的な映画なのかもしれないという感想をもった。
 人々に生きる意味を理解させるために、現実ではあるけれどもゲーム化された戦争があって、そのゲームというビジネスのために生み出された子どもたちがいる。ビジネスのために子どもたちが戦争をして命を奪い合い、それが無限にリピートされる。そんなことが現実に存在するわけないはずだけど、実はもう存在しているののではないか。平和なところに生きていると、ニュースで伝えられる戦争の様子や、人々が命を奪いあっている映像は、結局のところ情報としてインプットされるだけで、身近に感じるのとは情報がもつ印象度が極端に小さい。聞きたくなければ聞かなくてもいいし、はっきり言って自分とは関係ないのかもしれない。そんなニュースを聞きながら、自分のところには起こらなくてよかったと、安心してしまう自分たちがいるような気がする。そんな戦争のニュースを聞いているのと、戦闘モノのゲームをしているのとでは、どちらも現実とは違う世界であって、その中にいる人たちが命を奪い合っているという意味では、情報としてさほど違わないのかもしれない。現実にも自殺したり、命を奪い合ったりしている子どもたちがいるとしたら、それがビジネスとして成立することも不可能ではないのかもしれない。理性的に考えればあり得ない事かもしれないけれど、ドライに考えれば考えるほど、あり得る事のように思えてくる。それほどまでに、人々は戦争に依存しているのだろうか。
 絶対的なルールに縛られ、ゲームの中に生きている子どもたちが、自分が存在する意味を見つけるために、ルールに干渉したり、繰り返される運命を変えようとしたりして葛藤する様子は、時間を過ごして、年齢を経ていくという現実において、生きている意味を深く問うメッセージのように受け取れた。ストーリー自体は少し皮肉的な表現だけれど、いつもは考えていないようなことに気がつかされた。
 それにしても、日本語のカタカナとは不思議な言葉だ。スカイ・クロラと言ってしまえば、何かカッコ良さげなタイトルだけど、Sky Crowlerと書けば、空ではいはいしている赤ちゃんのような意味を連想させる。キルドレも何か流行りの若者世代のようだけど、Kildrenと書けばなんと恐ろしい造語だと想像できる。カタカナにした瞬間に、元の言語が持っていた意味を失い、新しい言葉として定義され、そのまま日常に使われる言葉になる。使うには便利だけど、少し危険なような気もする。

Costa Rica
























Miami Beach




トランジットでマイアミへ。飛行機が遅れて深夜0時に到着、Hostelで一泊。翌朝、マイアミビーチへ。ビーチ沿いに建つホテル群が印象的。それにしても、さすがマイアミビーチ、海の水が超キレイでした。次回はH&deMの美術館が完成してから、ゆっくり時間をとって来たいものです。どこまでもつづくフラットな土地に、高層ビルが立ち並ぶ姿はヨーロッパではほとんど見られないような気がする。

Exotic


どうみても、オランダにしか見えませんが、ここは日本、ハウステンボス。正式名称はHuis Ten Bosch「森の家」という意味らしいです。ここまで誠意を持ってデザインされたテーマパークに訪れてみると、ここはもはやテーマパークではなく、少し変わった日本の街に見えてきます。
ハウステンボスという名前は知ってたものの、ディズニーランド的な典型的なテーマパークのイメージしか持っていませんでした。訪れてみて気がつくことは、アトラクションなどはむしろ魅力的とは言い難く、やはりオランダからデザイナーやレンガ職人まで呼んで、作り上げられた街並みこそが、最大の魅力であることに気がつきます。
ハウステンボスのプロセスをもっと多くの人に知ってもらえたら、きっとそのコンセプトに共感してくれる人々も少なくないのではと思います。確かに経営面がまだ上手く行ってないことは事実ですが、バブル全盛の時期から、ここまで考えられているとは、建築を学ぶ者にとっては尊敬すべきプロジェクトだと思います。
もう少し詳しく調べてみたいと思っています。

Short Trip


日本から友人が遊びに来てくれました。ちょうどイースターの休暇だったので少し旅行をしてきました。まずは6年ぶりのRonchampへ。Zurichからは4時間ほど。以前に見た建築を見に行っても、以前見た時とは見えるところが違う。6年前はただその空間を感じたことしか印象になかったのですが、今はもう少し冷静に理解しようとしている自分がいます。

今回は建物だけではなく、その周辺にも気を配ることができたようです。

リクエストに答えて、Hoch Ybrigでスキー。スイスでは小規模なスキー場ながら、ゲレンデの広さには驚きました。。。

ChurでRoman shelterへ。冬の表情もやはり良いです。

Valsと言えばThermeですね。何回見てもいい作品です。

Valsでもう一つ、Caminada設計のHotel Alpinaへ。内部も少し見せてもらうことができました。高級ホテルとは違って、とても田舎らしい落ち着ける空間です。

Monza!


F1イタリアGPを見にモンツァに行ってきました!やっぱF1は生で見ると迫力が違う!耳がマジで痛い!そんな爆音とともに走り抜けるクルマたちはメチャクチャかっこいい!
それにしても、マクラーレンは桁外れに強かったね。来年は日本勢にもぜひチャンピオン争いに加わってもらって、その勇姿をまたモンツァで見たい!!

ロンドンでの再会


(AA PROJECTS REVIEW 2007)

(ZAHA HADID ARCHITECTURE AND DESIGN)


(Lords Media Centre, Future Systems)

(Waterloo)
 1週間ほどロンドンに行っていました。新潟で同じ研究室の先輩だったタケルさんとタケさんに会うことができました。タケルさんはロッテルダムのベルラーへで2年、ロンドンのfoaで1年、もう新潟を離れてから3年になる。タケさんはロンドンのUELで2年。2人とも新潟の時からとても個性の強い先輩に映っていたけれど、この数年の間に建築に対する考え方にそれぞれの環境の影響が感じられるようになっていた。
 日本にいた時は、数多いる建築家の中でどうやって自分のキャラクターを示すことができるのか全くわからなかったけれど、2人はすでに日本にはないタイプのデザイン論を身につけているように感じた。やはり留学は目的ではなく、自分のデザインを手に入れるための一つの手段であることを再確認した。僕がスイスに留学することを決めた時は「どんなデザインを身につけたいか」というイメージはそれほど明確ではなかったけれど、幸いなことにスイスにはかなり色の濃いスイスのスタイルがあって、それに染まってみることが自分の独自のスタイルにつながるのではないかと考えられるようになった。
 海外のデザインに染まるのか、それとも反発するのか、それはわからないけど、日本に帰った時に個性として発揮できるまでになっていればおもしろそうだ。2人の先輩の存在は自分のスイスでの経験を肯定してくれているように思えた。
 それにしても、新潟ではそれほど海外とつながるチャンスがなかったのにも関わらず、こうやって身近な先輩たちが自分の一歩前を歩いてくれているというのは、自分の刺激になるし、目の前の目標にもなっている。こういう環境が自分の周りにあることを感謝せずにはいられません。自分も生意気な後輩として、2人に迫る勢いを見せたいものです。
 ロンドンでの1週間はとてもいい経験になりました。お忙しいところ時間をつくってくれたタケルさん、ずっと一緒に行動してくれたタケさん、ありがとうございました。