美しさという指標

さっき同じ寮に住んでいる作曲専攻の学生と話していた。建築はどうやってデザインするんだと聞かれて話していたら、では美しい建築はどうやったらデザインできるのかと聞かれたわけだ。
作曲のほうの話を聞いていたら本当に建築のデザインに似ていて、パターンをつくったり、それらを組み合わせたりしながら、小さな部分から全体までの一貫したコンセプトをつくるんだそうだ。ミニマルミュージックっていうのもあって、小さなパターンを少しずつ変えながら全体をつくっている音楽のことらしい。建築でも一時期「部分から全体」という言葉が流行ったように、そういうプログラムの美しさって存在していると思う。アイデアコンペで競っているのは、むしろその要素のプログラム、組み合わせの斬新さ、明快さであるのかもしれない。
でも作曲の場合は、うまく力強いプログラムを持てたとしても、結局それが美しい曲でなければ意味がないと。音楽の場合その美しさをどう評価しているのかはわからないけれど、なんとなく建築よりも絶対的な価値観が存在している気がする。自分みたいな音楽を知らない人間でも良い曲だと思える音楽を経験したことがあるからだ。そのプログラムは全く理解できない、曲の背景も情景も全く分からない自分みたいな輩が聴いても、良いと思える音楽がある。もちろん、プログラムはその美しいという価値観を支えている要素である事は間違いないとは思うのだが。
建築の場合、その美しさを判断する余地はすごく小さい。建築の評価は、経済性や、効率性や、快適性や、地域性や、流行性(?)など多くの外部からの要因が作用しているからだ。時にはその評価が情報によって操作される場合も少なくない。建築というものが限りなく現実的で、直接的に人間と関係する以上、指標の捉え方次第で評価が変わることは当然なのだろう。しかし多くの建築デザイナーは、何の知識を持たなくても「良い」と思えるような、何人にも評価される空間や建築があることを知っている。そしてその空間や建築の内に絶対的な「良さ」や「美しさ」が感じられることも知っている。
スイスに来てから、その「美しさ」や感覚的なものが力をもっていることに気がついた。日本の大学の設計課題では明確なプログラムを持たない作品は教授に相手にもされない事が多いが、こちらでは教授が、アシスタントが、その魅力にとりつかれる。そしてその瞬間、プログラムの明快さなどはとても小さい事のように思えてくる。むしろ皆がなぜその作品が美しいのか、力強いのかをそこにある形態としての結果から導きだそうとしている。誰も言葉や明確な規則として理解できない絶対的な感覚を生み出すには、斬新で明快なプログラムのような要素の調和か何かが必要だからだ。自分の持論として、その絶対的な「美しさ」や「良さ」の感覚はプログラムの延長にあるものだと思っている。明快でシンプルな土壌を作り出して初めて、研ぎすまされた感性が働くと思うからだ。
「美しい」空間や建築をつくることは難しい。決して建築を知らない素人がつくれるようなものではない。だからこそ、建築をつくる者は感性で勝負すべきではないかと思ったのだ。プログラムは言葉にできるし、繰り返すことができる。過去の偉大な建築家が用いたプログラムを応用して、明快なプログラムをつくることもできる。しかし「美しさ」を獲得するにはその先の感性が重要で、そこまでデザインしてこそ建築家の職能と言えるのではないだろうか。

Summer Semester


(画像左:今頃になって雪。右:Paulo Mendes da Rocha氏の講演会。)
いよいよSummer Semesterが始まりました。と同時になぜか急に寒くなって雪が降ってきた。1月の終わり頃に少し降って2月も3月もぜんぜん降ってなかったんですが、今になってまた雪とは。まあ、少しくらい雪降ってないと春が訪れる喜びも小さくなりそうな気がする。
大学内は一気に学生が増えて活気が出てきました。早速、昨年プリツカー賞を受賞したブラジル生まれの建築家Paulo Mendes da Rocha氏の講演会。 恥ずかしながらぜんぜん彼の事を知らなかったのですが、重量感のあるコンクリートのオブジェクトを空中に浮かせるような彼の手法はとても力強く感じられ、プログラムうんぬんかんぬんよりも空間としての魅力を感じられそうな作品たちです。近いうちに南米に行きたくなった。

(画像左:Associative Designのレクチャー。右:デザインスタジオのオープニング。)
デザインスタジオのほうもスタート。今学期はエチオピアでの都市リサーチとアーバンデザインのプロポーザルになる。ワークショップで準備した自分たちのプログラムをプレゼンして、早速ディスカッション。エチオピアにいく前にどこまでリアリティを持って、有効なプロトタイプを考えられるかが焦点になりそうだ。
現在は参考になる情報を集めているところ。少し前にOMAのLAGOSのドキュメントムービーを見た。大きく2つのパートからなっていて、1つめは建築家やアーバンデザイナーからの視点で映像や映し出され、2つめは市民へのインタビューとともに市民の視点で映像が映し出されている。同じ状況を違う視点から見ることによって、都市に起こっている状況は多様な要素が複雑に絡み合ってできていることがわかる。都市デザインを考える上では、両者の視点から状況を把握することが重要だと感じた。
さらには昨年Berlage Instituteで学んでいたRolf Jenni氏(タケルさんの元同僚)らによるAssociative Designのレクチャー。彼らはパラメーターを使ったAssociative Softwareを利用して、形態を少しずつ変化させながらその形態変化がどんな要素に作用しているのかを理解しながら、場所や条件に一致するポイントを決定する方法でデザインしていた。もちろんパラメーターの選び方や形態自体には恣意性はあるのだけど、条件が変化する度に容易に形態を変化させてみる事ができるような、デザインのためのコミュニケーションツールとしてはとても有効だと感じた。ツールとなるソフトウェアも重要なのだけれど、むしろデザインの提案に幅をもたせるという考え方のキーポイントは、ディベロッパーや他のデザイナーとコラボレーションする際にとても有効な姿勢ではないかと思う。
今学期はいよいよ本格的にアーバンデザインの領域に取り組むことになる。どんな方法論がどんな場面に有効なのか、見極められるチャンスなりそうだ。

Workshop: プロセスの可視化


Workshopが始まってから約2週間。当初はアーバンデザインのToolboxをつくるということだったが、結局明確なお題はなく、次のセメスターでのエチオピアの調査につながるツールをデザインするということになった。それで議論の結果、自分たちの次のセメスターのプログラム自体をプロセスを含めてデザインすることに決定。デザインメソッドやエチオピアに関する資料を集めてPoolと名付けられた壁(画像右側)に集め、Time Table、Team Organization、Topicsの3つのテーマに分けられた自分たちのFilterを通して、有効な情報としてToolの壁(画像左側)に集めて、最終的にはToolの壁に自分たちのプログラムが出来上がるという環境とプログラムのデザイン。

そして完成。これまでの過去(現在は2週間)のプロセスは記録として残され、これからのプロセスはこの壁自体がアクティブなディスカッションのツールとして機能する。常にセメスター全体を意識しながら、目標を設定、チームの組み替え、インプットとアウトプットを可視化していく。今回のように簡単に調査のサイトに行けない場合には、その期間前と後で何ができるかを意識しておく必要があって、変化が起こった時に目標も再設定する必要がある。そんな時に情報を共有し、常に全体と最終的な成果を意識できる環境のデザインが必要だったわけだ。
これがきっかけになって、セメスターのプログラムデザインを本格的にすることになった。どんな最終的な成果を目標にして、どんな情報が必要になるから、例えば誰にレクチャーを頼むべきか。こんなことをするとは思ってもなかったが、自分たちが次のセメスターから得られる経験をデザインできるとすれば、とてもエキサイティングな機会になるはずだ。